2016年1月1日

小学生の年賀状合戦。通信手段が増えて、年賀状をヤメる。


2016(平成 28)年 年賀郵便物元旦配達物数
https://www.post.japanpost.jp/notification/pressrelease/2016/00_honsha/0101_01.html

今年の年賀郵便の件数は17億4,200万通だった。去年は18億1,000万通だったので、7,000万通ほど減ったことになる。

年賀状の配達数が右肩下がりで減り続けているのは何年も前から知られているが、私も中学生頃から年賀状を送らなくなった。小学生の頃は、12月の終業式直前、もしくは当日になると、「年賀状送るわ」、「オレも送るでぇ」、「オレにも送って」などと、年賀状合戦が始まる。

あの頃は、通信手段というと。電話か手紙、はがきぐらいしかなかった。FAXもあったが、小学生がFAXなんていう大人なツールを使いこなすことはなく、電話かはがきが主体だった。電話も、最近の電話のようにナンバーディスプレイ機能が当たり前に備わっているものではなく、ボタンだけ、もしくはダイヤルプレートをクルクルと回して電話をかける黒電話タイプもあった。

だから、今のようにケータイでカンタンに連絡できるような時代ではなかった。今だったら、メールはもちろん、LINEで「あけおめ〜」と送って済ませてしまえる。メールですら古いと言われかねない時代で、未だかつてこれほど通信に対する敷居が下がったことはなかった。

冬休みは2週間ほどで終わるので、年が明ければすぐにお互いに顔を合わせるのに、あえて年賀状を書く。子供ながらの遊びとして年賀状を書いていたのが懐かしい。ちょっとした意地の張り合いというか、見栄を張るというか、いかに多くの年賀状を送り、そして多くの年賀状を受け取るか。それを競っていたように記憶している。



中学生になると、急に年賀状に対する興味が薄れ、送ることも受け取ることも少なくなった。遊びの選択肢が増えたのか、ゲームとか、どこかに行くとか、そういう他の選択ができたので、もうお正月に年賀状を送るのはやめたのかもしれない。近況を知りたくて年賀状を送っていたのではなく、遊びで送っていたのだから、興味が失せればあっという間に離れるのが小学生なのだ。

今では、メールだけでなく、ブログで近況報告ができるし、SNSでもいい。20年前に比べて、連絡する手段が多くなり、通信手段が充実してきたので、年賀状を書かなくても差し支えない。

ただ、あまりに気軽に連絡できる環境であるため、コミュニケーションの軽さを感じざるを得ないが、まぁそれは時代が変わったということ。

手書きにこだわる人もいるだろうが、手書きだったら、何も年賀状じゃなくていい。「年賀状=事務的なはがき」だと考え、すぐに捨てられてしまうのがオチ。

何もない時期に、突如として例えば茶封筒で手紙を送れば、まず読んでもらえる。受け取った相手はビックリするからねぇ。「ん? 何かあったのか?」と確実に茶封筒の中身を確認するだろう。

どうしてもはがきを送りたいならば、何もイベントがない時期に送るほうがいい。他のはがきに混ざってしまうことはないし、ポツンと1枚、郵便受けに手書きのはがきが入っていたら嫌でも目立つだろう。

暑中見舞いも年賀状と同じ。イベントに合わせたはがきは実にツマラナイ。夏が来たから暑中見舞い。お正月が来たから年賀状。受け取った方は事務的で嬉しくないし、送る方も事務的で苦痛。さらに、郵便関連の仕事をしている人は、はがきを販売するノルマが課せられて、1人で300枚とか、「ちょっとそれは無茶なんじゃないか?」と思えるような販売数を要求され、売れなかったはがきは自分で買い取り、金券ショップに持って行って換金する。

書き手、受け取り手、郵便局の人たち、年賀状や暑中見舞いは一体誰が嬉しがる制度なのだろうか。みんなで何か「暑中見舞いは必要だ」、「年賀状は日本の文化だ」と無理やり自分を納得させて、嫌でも続けている。