嵐山シリーズも「その5」まで書いて、続けて書かないものだから、何をどこまで書いたかを思い出すのに苦労する。しかも、キチンとストーリーがあるわけではなく、脚本も台本も無いので、あっちへフラフラ、こっちへフラフラしながら書いてきたので、もうそろそろ完結したい。
前回のその4では、直指庵の話までして終わっていた。あそこはモミジを観るにはこれ以上ないんじゃないかと思えるほどの場所で、渡月橋周辺のモミジよりも私好みだった。
直指庵のモミジ。こんな場所が多々ある。 |
地図で見ると広沢池は立派な池に見えるが、11月末の広沢池の様子は、池と呼ぶにはちょっとふさわしくないものだった。
広沢池1。 |
広沢池2。 |
池のイメージとちょっと違う感じ。池というと、水がタップリと満ちていて、風が吹くと、サササーっと水面に波紋ができる。そういうのが「The 池」という感じ。ところがこの時の広沢池は、水が少なくて、池というよりも水溜りみたいな見た目になっていた。
とはいえ、あくまで池だから、海じゃないし、湖でもない。小規模なものなので、世間一般の基準ではこの程度でも十分に池なのかもしれない。 私が行った時は11月の末だから、雨が多い梅雨時期にでも行けばもっと水は多いのかもしれない。町に降った雨水が広沢池に流れ込むような仕組みであるならば、雨がよく降る時期ならば水でヒタヒタになっているのかもしれない。
広沢池から西へずっと進めば、清凉寺、そして祇王寺に到着する。ここまで来ると人が多くなる。駅から近いので、歩いて十分に来れる範囲。大覚寺や直指庵のように、人が少なく風情がある京都ではなく、人が多い観光地の雰囲気が感じられる場所かもしれない。
今回、祇王寺に初めて行ったが、想像よりも小さい。大覚寺があれだけ広々としていたのとは対照的に、祇王寺はコジンマリとしたお寺になっている。
到着したのが15時10分頃だったので、すでに空は薄暗い。なかなか表現しにくいが、あの狭いお寺にあれだけの人が来ているとなると、例えるならば、やや混雑した電車をイメージするといい。混雑した電車の中でモミジを見ている。そんな状況だった。
とはいえ、嫌なことばかりではなく、この祇王寺は苔がレイアウトに組み込まれていて、あのシットリ感に趣があって良い。
祇王寺の入り口付近の嵯峨菊。 |
大覚寺だけでなく祇王寺の嵯峨菊もシュンとしている。 |
ジメジメした感じとモミジの組み合わせがいい。 |
当日に雨が降ったかというと、確か雨は降っていなかった。前日に降っていた雨が残って、いい感じにジメジメした雰囲気を作りだしたのかもしれない。
秋の嵐山というと、紅葉が真っ先に頭に浮かぶけれども、直指庵と祇王寺に行って知ったのは、苔も重要なものと扱われていたという点。「秋なのに何でコケなんだ?」と思うかもしれないが、お寺ではコケを育てているところがあり、直指庵がそうだった。
あまりヤミクモにウロウロして苔を足で踏んでしまうと、お寺を管理する人から注意を受ける。それぐらい苔がレイアウトの一部になっていて、秋の京都はモミジ一辺倒ではないのだ。
苔の碧さ、モミジの紅さ。 |
キレイな苔。 |
コケの鉢植えがある。 |
コケどんぶり。 |
祇王寺を出た後は、トロッコの駅や嵐山公園を周り、渡月橋まで行き、そこから阪急桂駅のサイクルセンターまで自転車で帰っていった。