2015年7月15日

銀色じゃない銀閣寺。京都らしい場所はどこにある?



2013年9月に初めて金閣寺に訪問した際は、時間が残り少なかったため、銀閣寺まで回ることはできなかった。金閣寺、銀閣寺、相国寺、この3つはセットになっているようで、3つそろって1つであるかのような感じだが、1日で全部を訪問するのはなかなかの負担になる。

2015年7月、金閣寺のことを思い出し、「じゃあ、今度は銀閣寺に行ってみようか」と決め、祇園祭の真っ最中である京都へ行くことにした。金閣寺に行ったら、銀閣寺に行きたくなる。銀閣寺に行ったら、金閣寺に行きたくなる。片方だけだと気持ち悪いと感じるのが普通の人間だから、やはり金と銀はセットで見ておかないと気が済まない。

銀閣寺と哲学の道。




いつものごとく、京阪電車の特急に乗って、あっという間に出町柳まで到着。京橋、枚方市、樟葉、中書島、丹波橋、七条と、大阪の中心から京都の中心までたった5駅で着く。たった5駅と書くと、さも近いかのように錯覚するが、距離は70kmほどあったはずなので、距離まで織り込むと近いとは言い難い。

出町柳から銀閣寺まで歩いて行くこともできるが、7月の京都であるし、歩いて行けばおそらく25分ぐらいはかかるはず。到着した頃には汗でベチャベチャで、ヘトヘトになっているはずだから、ここは大人しくバスに乗って行く。4番出口から出て、今出川通沿いにあるバス停から出るバスに乗れば、10分とかからず銀閣寺道まで運んでくれる。

建物はたくさんあるが、入れる場所は無い。通路を歩いて参拝するのが銀閣寺スタイル。


バス停に到着した時、ちょうどバスがやってきて、そのままスルリと乗り込むことができた。京都の市バスは整理券が不要。そして、料金は均一料金。大人が230円で小人が120円。均一料金なので、なるべく遠くまで乗ったほうがお得なのだけれども、目的地以外で降りても仕方ない。出町柳から銀閣寺道のバス停までは、確か5つほど行ったところだったと思う。

普段からバスに乗らない人だと、「何か取らないといけないんじゃないか。」、「乗り方はどうするんだ?」と思いがちだが、バスにも色々ある。京都市バスのように均一料金ならば、入り口で整理券を取る必要はない。一方、距離に応じて運賃が変わるバスの場合は、入り口で整理券を取っておいて、どこから乗ったかが清算時に分かるようにする。

受付を入ってすぐのところにある庫裏前の玄関。


京都の市バスでは、電車にのるときに使うICカード、SuicaやICOCAを使えるようになっている。全国相互利用サービスは鉄道が主体なのだけれども、京都市バスのようにバスでも相互利用できるところもある。ただ、どこのバス会社でも相互利用できるわけではなく、バス会社が専用に発行するICカードのみ使えるところもあるので、個別に調べておかないといけないのが不便だ。

バスの運賃を支払う際には、運転席の横で両替ができるが、やや時間がかかるので、バスに乗るときはICカードが遥かに便利だろう。出口でチャリチャリと両替していると後ろから来る人がつっかえるし、小銭を出す面倒さもあり、なるべくICカードで決済する方がいい。

銀閣寺道のバス停は白川通沿いにある。京都信用金庫の前がその場所。ここから銀閣寺までは歩いて10分ほど。東へ進み川を渡ると坂道になる。この坂道を登っていると、清水寺に至るまでの坂道を思い出す。あそこもなかなかの坂道で、夏に行ったことは1度あるが、長い坂道で夏に来たことを後悔したぐらい。銀閣寺道の坂道は清水寺のそれほど長くはないが、7月の京都だとやはりちょっとしたエクササイズぐらいにはなる。

銀閣寺までの脇道。


坂を登り切り、銀閣寺の門をくぐると、すぐに右へ曲がる通路を歩く。これは金閣寺と同じで、確か、金閣寺のときは拝観料を支払って先に進むと、右へ曲がる通路があり、そこを抜けると金閣寺が見えるような構造だった。両方へ行ってみれば分かるが、右へ曲がる通路を歩くようになっている点は同じだ。

土曜日だったため、人が多くて多くて、ゆっくりと風情を味わう雰囲気じゃない。順路が一方通行で示され、狭い通路を指示通りにに歩いて行くだけ。銀閣寺に行っていながら人が多いのを嫌がっているのはおかしいが、やはり寺なのでゆっくりと静かに見たいのだが、ここまで有名な場所となると、そうもいかないらしい。

入口を入るとすぐに右曲がりの通路。白い砂の上を歩くとジャリジャリと音がする。


書庫や方丈、書院があるが、この建物の中には入れず、あくまで通路を歩きながら拝観する。観音殿である銀閣にも入れないし、触ることもできない。人がドカドカと入り込んだり、ベタベタと触っていると損傷が進むので、「遠くから観るだけですよ」と制限されている方が良いのかもしれない。

銀沙灘という砂が盛られた台のようなものがあり、イメージとしては枯山水のようなものが施設内に作られている。この銀沙灘、写真では分かりにくいけれども、砂の中に蜂の巣があり、アチラコチラで蜂がブンブンと飛んでいて、銀沙灘の表面に無数に空いた穴から出入りしている。




随分と近くまで接近できるが、蜂に刺される人はいないのだろうか。手で触ることはできないが、距離にして、2mぐらいまで銀沙灘に接近できるので、刺される人がいてもおかしくない。メンテナンスもされているのだろうが、手入れの時に蜂はどうするのか、まさか蜂の巣を取り出して砂をメンテナンスし、蜂の巣を砂の中に戻し、元通りに復元しているとは思えないので、不思議だ。

順路通りに歩くと、山道を登るが、ここは険しいというほどではない。15分程度で登って降りてこれるほどの小規模なものなので、伏見稲荷大社のように延々と山を登らされることはない。何年か前に7月に伏見稲荷大社に行ったが、あそこは神社というよりも山であって、参拝というよりも山登りをする場所だ。延々と続く朱い鳥居は、最初は「おお〜っ!」と思えるが、時間が経つとウンザリしてくる。汗だくで山を登った記憶は忘れもしない。

頭を出す銀閣寺。


銀閣寺はもちろん銀色じゃない。銀というよりも、普通の建物と表現せざるを得ないほど普通だ。ここの施設は、通路がキッチリと決まっており、建物に入ったり、触れたりはできず、余計な場所には足を踏み入れさせないようにしており、歩かされている感が強い。

左が銀色じゃない銀閣寺。


出口からまっすぐは人がウジャウジャ。脇におみやげ屋、飲食店がズラッとある。来た道をそのまま戻るのは芸がないので、門を出て左の道を進む。人が多いほど京都らしくなくなるもので、人がほとんどいない場所が京都らしい雰囲気がある。特に、四条通付近など、もはや京都とは言い難いほどの場所で、あそこで京都を感じることはまず無い。人里離れた、ひっそりと佇むような寺があれば、そういう場所に入るといい。人気はなく、観光スポットでもない、地元の人でもめったに来ない。そういうところに行けば、京都の雰囲気を感じれる。

笑う銀閣寺。2階の窓が目、1階の屋根が髭、1階部分が口と見立てると、笑っているように見える。


金閣寺や銀閣寺のような場所に京都らしさを求めるのはお門違いであって、あくまで観光用の場所だと考えておくべき。わざと人が来なさそうな場所、雑誌でも紹介されていない場所、京都らしさを感じたいならば、そういう場所を探しだすのが良いと思う。

トイレは出口付近にあり、小さいお店も営業している。入口と出口は同じ場所なので、施設内に入る前にトイレに行くこともできる。

大きな施設ではないので、ユックリと立ち止まりながら回っても30分もあれば足りる。見たいところも見たので、外に出たが、来た道をそのまま帰るのはツマラナイので、人が少なそうな南の道を進むことにした。慈照寺(銀閣寺のこと)の門を出て、まっすぐに進むと人がウジャウジャいるが、南の道に行くと人はほとんどいない。

たまに人や車が通るが、シーンとして、鳥の鳴き声が響き渡り、風が竹に当たりザワザワと鳴る。このような場所こそ京都らしい。人の多さに比例して京都らしさが薄れる感じがするので、なるべく人が来なさそうな場所を探していけば、京都らしい場所が見つかる。

京都らしいといっても、人それぞれなので、私のようにシーンとして、人が少なく、風や鳥の声が響く場所を京都らしいと考える人もいるが、人によっては賑やかな場所こそ京都らしいと感じる人もいる。

銀閣寺の中。苔が生えている場所がたくさんある。

私が銀閣寺に行ったのは7月中旬なので、京都では祇園祭が真っ盛り。四条通周辺は人が数えきれないほどいるし、八坂神社にも、円山公園にも人はワンサカいる。そういう場所に行って京都感を満喫するのもいいかもしれないが、私はそのような場所で京都を感じることはあまり無い。最も京都らしくない場所はどこかと問われれば、問答無用で「四条通周辺だ」と即答すると思う。

慈照寺の門を出て南へ行くと、クルマはめったに通らないし、人もほとんどいないので、これ以上歩いても何もないんじゃないかと感じるが、地図では南へ行くと法然院があるので、そこに行くことにした。

この静かさが京都らしい。

ひっそりした道が続く。

地図では遠くないように感じるが、実際に足で歩くと、想像しているよりも距離がある。夏の暑さがさらに道のりを長く感じさせる。

銀閣寺から歩いて15分ぐらいか、法然院の入り口は坂道になっている。植物や土の匂いが辺りに充満していて、銀閣寺周辺の雑踏に比べて空気もキレイな感じがする。


長くなったので、続きは次にするとしよう。