2014年2月2日

キュレーションとは? 「つながり」に価値がある。


キュレーションって、何?


キュレーションという言葉。ネットをよく利用する人ならば一度は見たこと、聞いたことがある言葉かもしれない。

最初にキュレーションという言葉をネット上で見たとき、「どういう意味なの?」と思ったものの、「まあ、いいか」と過ごしてきた。

『キュレーションの時代 「つながり」の情報革命が始める』(佐々木俊尚)を読んで、やっとキュレーションの意味が分かった。






情報を選別すること=キュレーション


ネット上ではドンドンと情報が増えていて、全ての情報を丸々把握することはできなくなっている。ウェブサイト、ブログ、SNS、メール、情報が集まる場所はもう数えきれないぐらいあって、その数えきれないぐらいの場所に数えきれないぐらいの情報が集まる。

こうなると、普通に情報を収集しても望む情報を得られにくくなる。そこで、たくさんの情報から「これはいい」と思える情報をピックアップして、分かりやすい言葉を交えて情報をまとめる。これがキュレーションという言葉の意味。

2013年頃から、キュレーションサイトというものがチョコチョコと登場してきて、代表的なのはNAVERまとめというサービス。お題を自分で決めて、そのお題に合ったネット情報を集めてきて、1つのページにまとめる。

ただ、NAVERまとめを見ればわかるけれども、単にネット上の情報を引っ張ってくるだけで「まとめ」と称しているものもあって、「こんなのがキュレーションなの?」と思える内容も散見される。

もちろん、有益なまとめもあるだろうけれども、他人のコンテンツにリンクを張るだけと思われると、キュレーションの意味が誤解されかねない。


まとめて新しい情報を作り出す


キュレーションというのは、1+1=2というものではなく、1+1=5というような状態を目指すような行為なのではないか。

情報をくっつけるだけで終わるのではなく、情報を組み合わせることで、新しい発見や方向、視点、そういうものを見つけられるようにする。これがキュレーションが目指すところなのだと思う。



見栄を張る消費が終わった?


大きい家に住む。高級車に乗る。高価な腕時計をつける。上等な革靴を履く。必要はないけれども、あえてムリをする消費のことを、この著書では「背伸び記号消費」と呼んでいる。

記号消費というと難しく感じるが、要するに見栄を張る消費のこと。こういう消費がなくなってきたという指摘がされている。

大きい家を買って住むのではなく、シェアハウスに住む。高級車ではなく軽自動車、もしくはクルマに乗らない。ケータイで時間を確認できるので腕時計は要らない。こういう消費行動は確かにある。

見栄を張る人が少なくなったと言えば確かかもしれない。しかし、「買いたくても買えない」という可能性もあり、本当は家やクルマ、腕時計を買いたいけど、買えないので代替的なモノで満足している。そういう人もいるはず。


口コミで買うかどうかを判断する


レビューや口コミ、これも人とのつながりの一種で、商品の説明よりも他人の評価を参考にして買い物をする。これは、もはや当たり前のような行動。Amazonや価格.comのサイトでは、口コミやレビューがメインと思えるぐらい人の言葉がたくさん掲載されている。

商品を使って、どう感じたか、どう便利だったか、どのように使ったか。これもキュレーションの範囲に含まれる。

自分自身が商品と接することで、色々な情報が生まれる。その生まれた情報をすべてレビューや口コミで書き記すのではなく、そこから自分なりに内容を選別して、評価としてネットに掲載する。

NAVERまとめは他人のコンテンツを引っ張ってくるのが特徴だけれども、レビューや口コミは自己完結のキュレーションで、私達は知ってか知らずか、キュレーターになっていたということになる。



人とのつながりが無くなったから渋谷HMVは閉店した


私は渋谷のHMVに行ったことはないけれども、大きなCDショップというぐらいで理解していた。

2010年に閉店した渋谷HMV、その原因は「人とのつながり」が途絶えたことにあると指摘している。

「ネットで曲を販売するようになったから、CDショップに行く人が少なくなったのが原因じゃないの?」と思うところだけれども、どうも違うらしい。

人とのつながりというと、抽象的で分かりにくいけれども、要するに「人間臭さがお店からなくなった」ということ。

以前の渋谷HMVは、バイヤーの知識に基いて売り場に個性を持たせて、音楽の流行を知るにはHMVに行くという人もいたのかもしれない。私はお店に行ったことがないので、どんなお店だったかを想像できないけれども、個性のある売り場だったのだと想像できる。


人とのつながりがあれば、渋谷HMVは存続できた?


じゃあ、以前のような渋谷HMVならば、お店は閉店することはなかったのか。私は遅かれ早かれ閉店していたんじゃないかと思う。

音楽情報はHMVじゃなくても集められるし、曲の購入もAmazonやiTunesで可能になっている。だから、HMVに行かなくても、事足りてしまう人も多いのではないか。

HMVのバイヤーのセンスが良くて、そのセンスが売り場に反映され、それが渋谷HMVの良さに繋がっていたと著書では指摘されている。しかし、「渋谷HMVじゃなきゃダメ」という理由があるかというと、2014年時点ではそうでもないと言わざるを得ない。


グランフロント大阪にHMVのお店ができたのだけれども、どういう判断でお店を作ったのか、私には分からない。渋谷ではダメだけれども、グランフロント大阪ならばイケると判断したのだろうか。

私が理解していない部分もあるのかもしれないが、何ともナゾだ。




多量で様々な情報から有益な情報を抜き出し、そこに価値を作り出す。そういう試みは以前からあったし、今ではもっと盛り上がっている。

たくさんの情報を集めることよりも、情報から価値を抜き出す能力。そういうタイプの人間の価値が高まっていく。これからはもっとその傾向が強まっていくように思う。






キュレーションの時代 「つながり」の情報革命が始まる (ちくま新書)