2014年8月7日

人はなぜ混雑した花火大会に行きたいのか。



人混みでヘロヘロになることが分かっているのに、なぜ人は花火大会に行こうとするのか。花火なんてどこも似たようなものなのに、毎年同じような内容の花火なのに、なぜか花火を見に行きたくなる。確かに不思議な感じがする。

花火大会に行くのは、花火を見たいから。これが理由として挙げられると思うところだけれども、実際に花火大会に行くとあまり花火を見ていない人もいる。一緒に来た友達とずっと話しているとか、夜店で買ったかき氷や唐揚げをモグモグと食べているとか、おおよそ花火に集中していない人も少なくない。

わざわざ人が多いところにやって来て、せっかくの花火を見ない。となると、花火以外の目的で花火の会場に来る人もいると考えないといけない。まぁ、「考えないといけない」などと真剣に捉えるほどの問題じゃないし、どうでもイイとと言えばそうなる。しかし、どうでもいいと言ってしまってはブログではなくなるので、あえてどうでもいい問題を真剣に考えられるのもブログのいいところ。



花火に似たイベントとしては、盆踊り、各種の祭りがある。具体的には、夏に近所の学校や公園で開催される盆踊りがあり、祭りの典型例としては大阪の天神祭や京都の祇園祭がある。

端的に言えば、人は人が集まる場所が好き。花火、盆踊り、お祭り、他には行列ができる飲食店、アミューズメントパークでアトラクションに参加するために行列する。これらは人が集まる点に魅力があり、人はそういうイベントなり場所が好きなのかもしれない。

冷静に考えれば、何万人、何十万人と集まる花火大会やお祭りに好き好んでいくのはちょっとオカシイ。花火や祭りは夏に開催される場合が多いので、蒸し暑いし、汗はダラダラ流れるし、夜店で提供する食べ物の匂いが辺りに充満しているし、ゴミはアチラコチラに捨てられているし、イイことなんて無い。にもかかわらず、人は集まる。


花火は夜の19:30頃から20:30頃まで打ち上げられるものが多く、時間は約1時間。1時間も花火がポンポン、ドンドンと打ち上がるのだから、ずっと見ていると途中で飽きてくる。最初の1発目はみんなで「おお〜っ!」と反応するし、開始から5分間ぐらいはみんなマジメに花火を見ている。しかし、15分、20分と経過していくと、段々と飽きてくる。

スマホをいじって、LINEで花火の感想を投稿してみたり、twitterで花火の実況中継をしてみたり、一緒に花火を見に来た友人と溜まっていたグチを言い合ったり、徐々に花火から人の注意が削がれていく。

花火もだいたい見たし、友達とも話したし、もう満足。お祭り気分で花火大会に来た人はおおよそこんな感じ。私は花火が目的で花火を見に行くタイプだから、夜店でかき氷を買うことは無いし、赤いリンゴ飴を買って囓ることもない。食事に来たんじゃなくて花火を見に来たんだから、一切食べない、飲まない。そんな頑固な感じで花火を見たいが、さすがに暑いとペットボトル1本の飲み物ぐらいは飲むかもしれない。


人には人がイッパイいる場所に行きたがる習性があるとして、行って後悔するお祭りもある。その典型が京都の祇園祭。祇園祭に行って後悔すると書くと、「そんなわけないだろう」と思うかもしれないけれども、あの人の多さは祭りの風情を感じるスキも無い。

祇園祭は京都の四条通周辺で開催される祭りで、毎年7月に行われる。祭りというと週末の土日だけとか、祝日の1日だけというように単発で開催されるのが一般的だけれども、祇園祭は7月の一ヶ月間ずっと開催される。「京都の祭りですか。それは風情がある祭りなのでしょうね」と実際に祇園祭に行ったことがない人は思うかもしれないが、現実はそんな生易しいものじゃない。

7月、京阪電車の四条駅を降りれば、すぐに祇園祭の喧騒の中に入り込むことができる。いきなり暑い、いきなり人がイッパイ、ゆるりまったりと祭りを味わう、そんなイメージで京都の祇園祭をとらえていたら一気にその気持ちはひっくり返される。

私は2度、祇園祭に行ったことがあり、いずれも夜の18時か19時ごろに行った。2014年の今年は行かなかったが、2013年と2012年の2回、祇園祭を見に行った。

祇園祭といえば長刀鉾が見どころだが、長刀がくっついたお神輿は1台だけでなく、10台ぐらいあって、それぞれに独自の名前が付いている。その中でも長刀鉾の御輿が有名だけれども、始めて祇園祭に行った人はどれが長刀鉾なのかは分からないと思う。私も祇園祭に2回行ったけれども、どれがどの御輿なのかはよく分からない。というよりも、人は御輿なんてたいして見てなくて、祇園祭という祭りに参加するために来ている感じ。

盛り場という言葉があるが、これは「人が寄り集まる賑やかな場所」という意味で、そういう言葉があるぐらいだから、人は寄り集まるのが好きな生き物なのだと思う。

四条通の混雑もかなりのものだが、脇道に入って、夜店が展開している通路を見ると、混雑度はラッシュタイムの東京の中央線ぐらいになる。とても自分のペースで歩ける状態ではなく、人の流れに身を任せて動くしかないほど。もし、たこ焼き屋があっても、たこ焼きを買える保証なんてできないぐらい人が多く、「京都の祭りは風情がある」などと呑気に想像している人は実際に行って経験してみるといい。


花火を見たいならば、テレビの生中継で十分と思っている人もいるはず。わざわざ暑苦しくて人がウジャウジャいるところに突撃しなくても、自宅のテレビで花火を見れるじゃないか。行かなくてもいいじゃないか。そんな達観した生き方をしている方もおられるのではないか。

大阪でも、7月25日 金曜日に天神祭奉納花火が打ち上げられたが、この花火は毎年テレビで中継があって、司会も毎年、西川きよしが担当している。なかなか良い場所からテレビカメラが花火を写していて、音にこだわらず単に見るだけならばテレビでも十分かもしれない。

東京の隅田川花火大会でもテレビ中継があって、こちらは高橋英樹が司会で、この番組も毎年恒例になっていて、テレビで花火観覧を済ませる人も少なくないはず。


人はなぜ混雑した花火大会に行きたいのか。それは、人間は盛り場が好きな生き物だから。これが結論だと私は思う。