2014年9月24日
弁護士は貧乏? 会計士はワープア? 『資格を取ると貧乏になります』
資格を取ると貧乏になります (新潮新書)
国家資格を持って仕事をしている人に対するイメージは、「オシャレ」、「カッコイイ」、「社会的地位が高い」、「経済力が高い」などおおむね良いものであることが多い。
各種の資格試験のデータを見れば、司法試験の受験者が約10,000人、会計士試験の受験者が約8,000人、社労士試験の受験者が約50,000人など、資格に対する人気は根強い。
ただ、資格を取ることに気持ちが向いていると、その後のことがおそろかになりがち。試験に合格するまでは、試験対策で気持ちも時間もイッパイで、合格した後のことなど考えられない。そんな人も多いはず。
弁護士は自営業です。
例えば、司法試験に合格すれば、司法修習を受けた後、弁護士、検察官、裁判官などの仕事に就く人が多いだろうし、中には企業に入って働いたり、自分で商売を始める人もいるかもしれない。
「資格さえ取れば、後は何とかなる」そう思っていると、トンデモナイことになる。しかし、これは当たり前のこと。資格を取ることと仕事ができることというのは別の問題であって、両者を直結させる方がむしろオカシイと考えるべき。
ただ、検察官と裁判官は公務員だから、仕事は向こうからやってくる。おそらく「もう仕事はいらない」と思えるほど仕事ができるだろうから、この2つの職業を選択した人は「資格さえ取れば、後は何とかなる」と考えても問題ないかもしれない。
しかし、弁護士になった人はそうはいかない。「弁護士資格を取ったら、どこかの弁護士事務所でも入って、給与を貰いながら学び、その後に独立しようか」などと皮算用するだろうけれども、現実にはそんなにスンナリと事が運ばない。
弁護士は自営業。このことに気づかないと、弁護士になっても思い描いた生活はできない。会社員や公務員と同じ気持ちで弁護士の仕事をしようとすると、本書に書かれているように貧乏になります。
司法試験合格率8割はウソ。
確か2005年頃か、法科大学院ができて、司法試験の合格者を増やす施策が実行されました。その頃に言われたのが「弁護士の数が増えたら法曹の質が下がる」、「仕事の奪い合いになる」という類の話で、2014年現在も法科大学院は運営されていますし、そこから卒業生も出て司法試験に合格する人もいます。
法科大学院を出れば、8割の人は司法試験に合格できる。そんな話も2003年頃にはありました。私が大学生だった頃で、法科大学院の構想が政府で練られている時期でした。旧司法試験の合格率は1桁台で、合格率は低かった。それと比較すると、法科大学院を経由すると80%の人が合格するとなれば、法科大学院に行こうとする人が殺到する。
法科大学院が設立された初年度は、法学既習者だけが入学の対象だったけれども、まさにご祝儀相場で、平成18年に実施された新司法試験では、受験者比最終合格者の比率は48.25%だった。
「あれ? 合格率は8割じゃなかったの?」と思うところだが、8割の合格率は無理だということは法科大学院構想の時点から指摘されていた。
私が大学生の頃、2004年だったか、辰已法律研究所の職員らしき人が大学で法科大学院に関する説明会を行い、その場で合格率8割は実現できるのかをシミュレーションした。その結果、初年度は合格は高いものの8割には届かず、その後の試験では合格率は20%から30%ぐらいと予測していた。
では、実際はどうだったのか。
司法試験受験者・合格者数(法務省)
http://www.moj.go.jp/content/000104223.pdf
上記のPDFファイルに試験の結果が掲載されている。2004年にシミュレーションした結果にほぼ合っている。
平成25年司法試験法科大学院等別合格者数等
http://www.moj.go.jp/content/000114386.pdf
上記のPDFは、大学別の試験結果を記載したものだが、もっとも合格率が高そうな東京大法科大学院、中央大法科大学院のデータを見て、合格率がどうなっているかを調べてみるとどうか。
平成25年度のデータでは、東京大法科大学院からの受験者は357人、最終合格者が197人。この場合の合格率は、197 / 357 ≒ 55.1%になる。合格率は8割に達していない。
中央大法科大学院の場合は、受験者は442人、最終合格者は177人。合格率は 177 / 442 ≒ 40%になる。ここでも合格率は8割に達していない。
これが法科大学院の実情だ。
さらに、合格した後は、2年か3年の時間をかけて法科大学院をパスし、さらに司法試験をパスする必要がある。さらに、司法試験に合格した後は、弁護士になれば自営業として商売をしていくことになる。
好き好んで、敢えてこれほどの苦難に向かっていこうとする人が何千人、何万人といるかと思うと、呆れるほど凄いと思う。
なぜ過当競争になりダンピングが起こるか。
なぜ士業の商売は過当競争になりダンピングが起こるのかというと、それは他の人でもできる仕事をしているから。
弁護士ならば、契約書作成だとか、過払い金返還請求だとか、ルーチンワークで対処できそうな仕事をメインにしていると、ダンピング環境に巻き込まれる。
会計士ならば、監査の仕事がまさに過当競争の市場になる。他の会計士でもできることをあえて自分がやる必要もないのだから、報酬が低くなるのも当然。
税理士ならば、記帳代行や決算代行、確定申告書の作成代行がダンピングの対象になる。これらの仕事も、あえて税理士が出て行かなくても、事務のオネーサンでもできてしまうし、確定申告も税理士に頼まなくても自分で時間があるときにチョコチョコっと作ってしまえばいい。
社労士も、保険手続きの代行、就業規則の作成、こういった伝統的な業務はダンピングが起こる。
士業には職域というものがあって、この職域内の業務は専門の資格を持っている人しか扱ってはいけない決まりになっている。しかし、この職域というのもはクセモノで、自分たちの立場を守るために設定している規制であるにもかかわらず、逆に、自分たちの首を絞める結果になってしまっているのが実情。
職域を設定すると、「その職域内の仕事しかしちゃいけない」と思い込む人がいて、その狭~い枠の中に閉じ込められて、にっちもさっちも行かない状況になってしまう。
確かに、職域内の仕事は専門的な仕事なのかもしれないが、その仕事しかしてはいけないわけではない。
弁護士が寿司屋で仕事? それでもいいじゃない。
本書では、弁護士法人が寿司屋の経営に参入したことが紹介されているが、弁護士だから寿司屋の仕事をしてはいけないという規制はない。弁護士の仕事もできるが、寿司屋での仕事もできる。そんな人がいてもいい。
例えば、朝から夕方までは弁護士として仕事をする。その後、夕方から夜にかけては寿司屋で仕事をする。そんなワークスタイルがあってもいいんじゃないか。
弁護士は日銭がチャリンチャリンと入る商売ではないので、寿司屋のように日銭が稼げる仕事は新鮮で面白いと感じるかもしれない。
もちろん、弁護士資格を持った人をあえて寿司屋に配置転換することはないだろうけれども、「弁護士だから弁護士の仕事しかしてはいけない」という思い込みは持たないほうが良い。
本書では、弁護士が寿司屋で働くかのように紹介されているが、実際は管理部門の共有化程度で済ませるはず。人事や総務、経理の部門ならば、弁護士法人でも寿司屋でも似たようなものだから、一本化して効率的に管理業務を行うのかもしれない。
週刊誌と同じレベルの内容。
本書を読めば、週刊誌で定期的に出てくる「食える資格。食えない資格。業界一覧」のような記事と同じレベルの内容だと分かる。
週刊誌の記者は、売れる記事、読んでもらえる記事を書くのが仕事なので、人が食いつきそうな話題、今回の例ならば、国家資格の実態を書いたような記事を載せれば雑誌が売れると判断し、そういう記事を実際に載せる。
何事でもそうだが、ギャラリーの立場では分からず、経験して分かることが多い。お風呂のお湯でも、熱いのか冷たいのかを判断するには、実際に手を突っ込んでみないとお湯の熱さは分からない。
弁護士がどんな仕事なのかは実際に弁護士になって仕事をしてみれば分かる。これは、会計士、税理士、社労士でも同じ。
この本を読んで、「あぁ、資格業界はダメだな」と思ったら、資格を取得して仕事をするのをヤメればいい。「いや、実際は違うんじゃないか」と思ったら、自分の人生を投じて実際にその仕事をやってみればいい。
資格を取った人が失敗する最大の原因は、「資格さえ取れば、後は何とかなる」という気持ち。資格を取ることと仕事をすることは別の問題なので、両者を直結させてはいけない。
自営業で商売する。ベンチャー企業を立ち上げる。フリーランスで仕事をする。こういう心持ちで資格業に接すれば、大きな失敗をする可能性を回避できると思う。
本書を読んで、あまり真剣に捉えすぎないほうがいい。マジメに読むとイヤな気分になるので、「あぁ、そういう側面もあるよねぇ、、」ぐらいで理解しておくのが正しい接し方だ。
資格を取ると貧乏になります (新潮新書)