2014年9月9日
ドラクエの踠き、ファイナルファンタジーの夢想。
ドラゴンクエストを始めて知ったのは、シリーズの3作目からだった。その頃は、ドラクエが何だかも知らず、ドラクエ3がどんなゲームかも分からず、おもちゃ屋のゲームケースの中に陳列されていたものを何となく選んだのがきっかけ。それが人気ゲームだとは知らなかったし、RPGというゲームカテゴリーであることも知らず、訳もわからないままドラクエと出会ったのが小学生の4年生頃のことだった。
ファミコンのソフトだったドラクエ3、実際にプレイしてみると、最初は何のゲームか分からず、グリグリと動かしていると、敵が現れ、画面が揺れ、文字が茶色になり、そして赤色に変わり、棺を引きずっている。そんなワケの分からないゲームだった。そのため、しばらくはゲームを放置し、プレイしない状態が続いていた。
小学5年とか6年になると、ドラクエがどうも人気のゲームであることが分かり、ゲームの操作方法も分かってきた。スライムやおおがらすにやられることは無くなったし、武器や防具でキャラを強化することも知った。初めてRPGに取り組んだのがドラクエ3だったのではないかと思う。
ドラクエに入門したのがシリーズ3作目から、その後、5,6,7、この4つはキチンとクリアした。2は、3をクリアした後にソフトを購入しプレイしたが、難易度が高く途中で挫折した。4は、3と同様にファミコンソフトだったけれども、確か値段が6,800円か7,800円ぐらいで、小学生にはなかなか変えるシロモノではなく、私は買わなかった。同級生には持っている人も多かったのだろうけれども、私は4が登場した頃も、まだ3をプレイしていて、やっとクリアするかどうかぐらいの進捗度だった気がする。マジメにドラクエ3をプレイし始めて、レベル17ぐらいになったところでドラクエ4が発売されたぐらいの時間間隔だから、ドラクエ4をプレイする気持ちにはなりにくかったのかもしれない。
しかし、その3年後か4年後か、ハッキリとは覚えていないけれども、学校の同級生からドラクエ4を借りて、プレイする機会があった。ドラクエ3とはシステムが違っていて、キャラごとに章が分かれており、最初は戦士ライアンでプレイする。ピンク色の鎧のキャラで、レベルが低くても、物理攻撃でジャンジャンと敵キャラを倒すのが実に単純で、分かりやすかった。
レベルも徐々に上がり、確かレベル14とか19ぐらいになった頃に、突然セーブデータが消えた。ファミコンのRPGは、ふっかつのじゅもん(現状のゲームデータを再現するためのパスワードのようなもの)を紙などに書いて記録するか、それともROMカセットの中にセーブデータを保存するか、この2つでゲームの状態をキープする構造になっている。ドラクエ2まではふっかつのじゅもん方式で、紙にひらがなをズラーっと書いておかないといけなかった。そのため、途中で内容を間違えて書いてしまうと、ゲームを復元できず、プレイした内容が水の泡になる。あれは厄介だった。
3からはROMにセーブデータを記録できるようになり、手を動かす手間が省けて便利になったけれども、突然にデータが消えるという厄災に悩まされるようになる。そのため、セーブユニットは3つまであって、同じデータを3つ用意しておけば、1つが消えても、他のユニットが生きていれば大丈夫な仕組みにはなっていた。しかし、何らかの都合で、1つのユニットしか使えないとなると、もしそのデータが消えたとき、もう復元はできなくなる。これはもう、ラスボスよりも厄介な敵で、誰も逆らうことができないドラクエのルールのようなものだった。
ドラクエ5からはスーパーファミコンにハードが切り替わり、セーブデータが消える可能性はグッと下がり、実際にセーブデータが消えた経験は無い。さらに、ゲーム機に衝撃があっても、ゲーム画面がバグることも少なく、ファミコンよりも遥かに快適にプレイできるようになった。ただ、ゲームソフトの値段がドンドンと上昇していったのはスーパーファミコンの良くない側面で、スーパーファミコンの末期、1998年頃になると、ソフトの価格は1万円を超えるものが普通になってしまった。初期の頃は、8,800円ぐらいの価格で、ファミコンソフトよりは高価だったものの、まだ許容範囲だったが、10,900円とか、12,300円となると、さすがにゲームソフトとしては高すぎる感じだった。
ドラクエも2014年9月時点では、10作目まであって、ドラクエ10まで到達している。私は大学生の頃に、ドラクエ7をプレイしていて、あれでもうドラクエをプレイするのは終わったと思っていた。発売されてから2年後ぐらいに、中古ショップで購入したのがドラクエ7で、ドラクエ6をプレイしたのが中学生ぐらいだったので、随分と久しぶりだった。小学生から中学生の頃までに、一生分に相当するほどゲームを遊んだような感じだったので、もう大学生の頃にはゲームに対する熱意というか意欲もあまりなく、「あぁ、ドラクエの新しいヤツがあるな。中古だから安いゾ。買ってみるか」と何となく中古ファミコンショップで見て買ったのがキッカケ。
最近のゲームは、スマホやワイヤレス通信を意識しているためか、ドラクエもネットワーク化している。ドラクエ8までは1人でプレイするタイプだったけれども、9からはニンテンドーDSに対応し、ワイヤレス通信が可能になる新しいドラクエに変わっていった。もうこの段階になると、遊んでみたいという感覚は無く、もう完全に傍観者になってしまった。
ドラクエ10も、3DS版が2014年の9月4日に発売されたけれども、こちらもオンラインタイプのドラクエで、1人でコツコツとプレイしたい私の価値観とはズレがある。
RPGは1人でヒソヒソ、コッソリ、ムッツリとやり込むのが面白い。黙々と敵を倒し、洞窟に入り、アイテムを集め、ボスキャラを倒す。それを1人でやり遂げる。それがRPGの楽しさだと思うのだけれども、時代の流れはネット、共有、繋がり、コミュニケーションなどに重きを置くように変わった。
学校で、レベルがどこまで達したかとか、このボスを攻略するには、あのアイテムはどこにあるかなど、色々と話した記憶がある。ケータイは無かったし、メールも無かった。もちろん、ネット回線もなかったので、学校に行くまでは友人のゲームがどこまで進んだかは分からない。そんな不便な時代だったけれども、それはそれで楽しみがあって、良かったとは思う。
ネットそのものは便利だし、もっと使っていくべきだとはおもうけれども、ゲームがネットワークに接続することにはどうも抵抗感がある。「誰かと繋がるのがイイんだ」、「誰かと共有するのがイイんだ」、「誰かとコミュニケーションするのがイイんだ」、そういう緩い繋がりが流行りなのだけれども、それをゲームに持ち込むことには私は反対。
RPGにそのような機能が必要なのかどうか。1人でジックリとやり込むから熱中するし、他の人が自分のRPGの世界に入り込んでくれば、イメージが変わってしまい、面白くないんじゃないか。RPGは仮想の世界で動くゲームであり、そこにリアル世界の人が入り込み、ナンダカンダとメッセージを送ってくれば、せっかくのゲームの世界が壊れる。
ファイナルファンタジーも、以前、ネットワークタイプのシリーズを発売したことがあって、そんなに人気はなかったように思う。ファイナルファンタジーの世界に、日常の言葉が溢れ、「こんにちは」、「じゃあね」、「うそ? そうなの?」、「そうだよ。知らなかった?」みたいな俗っぽい会話が繰り広げられ、ゲームの世界とは馴染まないような言葉がジャンジャンと世界に入り込んでくる。だから、私はオンラインタイプのRPGが苦手で、1人だけでプレイできるRPGじゃないとどうも楽しめない。
ただ、ネットワーク化に適したゲームもあって、格闘ゲーム、アクションゲームがその典型。対戦要素があるゲームだとネットワークとの親和性が高いので、オンライン化も積極的にやるべきだと思う。
ネット回線を今のように使えるまでは、格闘ゲームは家やゲーセンでしか対戦できなかった。友人同士、ゲーセンの近所に住む人など、ローカルな対戦しかできなかった。そのため、どうしてもワンパターンになるし、マンネリにもなる。しかし、ネット回線を使えるとなると、海外の対戦者も見つけられるだろうし、今まで対戦できなかった人とのプレイ機会が増える。
他にも、マリオカートのようなゲームも、友達同士で対戦だけでなく、全くの他人とも対戦できるとなると、やはり面白さはアップする。
どんなゲームを作るかはゲームソフトの会社が決めることだから、「お好きにどうぞ」と言うべきだけれども、RPGにネットワーク要素が本当に必要なのかどうか、私は疑問に思う。