2014年3月8日

国語の入試問題は現代文だけでいいんじゃないの。


2014年も3月になって、もう大学入試はほぼ終わった頃。あとは後期入試がチョロチョロと残っている程度で、大半の受験生は大仕事を終えた時期ではないかと思う。

大学入試にはいくつか科目があるけれども、今回は国語の話をする。入試の国語は大きく3つに分かれていて、現代文、古文、漢文、この3つが主な内容。たまにイレギュラーで、現古融合文などというヘンテコな出題があった(今もあるのかどうかは知らない)けれども、あれは例外。

文学部を受験する人は「現代文1、古文1、漢文1」、このパターンが多い。それ以外の学部だと「現代文2、古文1」のパターンが多い。私が受験生の頃は、この2パターンが多かった。

さて、入試の国語だが、古文と漢文を無しにして、現代文3問に切り替えればいいのではないかと提案したい。

古文の文章をバラバラに分解して、助動詞の活用を答えさせる。連用形だの終止形だの。あれは楽しいとは思えなかった。文章を切り刻んで読んでも、ちっとも楽しくないし、どんどんと古文嫌いの学生を量産するだけなんじゃないか。

この点は、漢文も同じ。これも古文と同様に、バラバラに分解して解釈するのが通例で、古文よりは文章が短いものの、やっていることは古文の問題と同じ。下に読み進んだと思ったら上に返り、さらに下へ行き、また上に返る。「右手上げて、左手上げて、右手を上げないで左手上げる」みたいな感じで、漢文を読んでいて、おちょくられているような感じすらした。

あれだけ漢文や古文を読んで、大学に行ったらそれらを読むのかというと、全く読まない。授業で古文に遭遇したことはなかったし、漢文に遭遇したことはなかった。むしろ、英語やスペイン語の方が接する機会が多かったぐらいで、古文や漢文の出番は皆無といっても言いすぎじゃないぐらいだった。

文学部の国文学科に行けば、確かに古文や漢文を読む機会はあるはず。しかし、それ以外の学部だと、まず読む機会は無い。

使用頻度が極めて低いものをあれほど入試でシツコク出題する意図は何なのか。

「使う使わないは問題じゃない。古文は日本の文化だから学ぶべき」という意見もあるのかもしれない。確かに、古文は日本で作られた文章なのだろうから、読むべきという気持ちも分からないでもない。

しかし、古文の内容はどんなものかというと、とにかく男女の恋愛話が多い。男が女のところに夜な夜な通って、ナンダカンダとコトを進めて、朝になったら帰らなきゃとシミジミと心の中を語る。そして、寂しい時は文(ふみ)を送って、心の内を伝える。

これが日本の文化だとしたら、ちょっとマズいんじゃないか。男女のカラミが日本の文化だなんて、なんだかイヤラシイじゃないか。こんな内容を日本の高校生にマジマジと読ませて、「文化だから学ぶべき」とはちょっと言いにくい。

もっとマジメな現代の評論文をたくさん読んでもらうとか、夏目漱石や森鴎外など、他にも読んでタメになりそうな文章はあるはず。それをわざわざ男女の色恋沙汰に差し替える必要もないだろう。


ただ、現代文主体の入試に変えるとなると、古文や漢文で仕事をしている予備校や塾の講師の人たちは反対するだろうねぇ。