2014年5月10日

家風呂がない家もまだある。銭湯通いの大学生時代。

 銭湯の数が減りつつあるようで、家風呂が普及して銭湯に行く人が減っているのが主な理由なのかもしれない。1980年とか、1968年を比較対象にして銭湯の利用者が減少していると言うけれども、その当時は家に風呂がない家庭もそれなりにあって、銭湯に対する需要もかなりのものだったはず。そういう時期と2014年現在を比較したら、確かに減っているとデータに現れるはずだろう。

東京の銭湯「半減」の危機…廃業検討45%
http://www.yomiuri.co.jp/national/20140424-OYT1T50143.html
 厚生労働省によると、1980年に全国で1万5696軒あった銭湯は、昨年3月末時点で4804軒に減少。都内でも傾向は同じで、都によると、ピークの68年には2687軒を数えたが、今年3月末にはほぼ4分の1の699軒に。1日の平均利用者数も、68年の530人が昨年は119人と4分の1程度に落ち込んでいる。
 都は昨秋、都内の647軒を対象にアンケートを実施。その結果、「転廃業の予定がある」「いずれは転廃業する」と答えたのは291軒(45%)に上り、うち約90軒は、東京五輪開催前の5年以内の廃業を検討していると回答した。
 1軒あたりの年間支出は燃料代など平均約2137万円で、収入を約68万円上回った。後継者についても6割超の銭湯が「いない」(未定を含む)と答え、都の担当者は「東京五輪までに現在の半数に減ってもおかしくない」と話す。

 私が小学生の頃、祖父の家にはお風呂がなく、毎日のように銭湯に行っていた。当時は、家に風呂がある家庭も多かったけれども、一軒家で風呂がない(あっても使いものにならないほど小さい)ところもあって、お風呂屋に行く人も多かった気がする。入り口で下駄箱に靴を入れて、鍵代わりの番号が書かれた木の板を取り下駄箱をロックする。そして、入り口をガラガラっと開けると、番台の人に入浴料を渡す。そんなお風呂屋だった。



 大学生の頃も、アパートにはお風呂がなかった。東京の世田谷区にあるアパートで、家賃は29,000円。世田谷に住んで家賃29,000円だと、それを聞いた他の人はビックリしていたけれども、これは本当の話。ついでに言うと、トイレも個別にはなくて共同利用のトイレだった。大学に入学して、風呂なし、トイレ共同という前提条件にビビったけれども、実際に住んでみると何のことはなかった。毎日、銭湯に行けるのだから、ちっこい家風呂でセコセコと湯浴みする必要はないし、足を折りたたんで浴槽のなかに入ることもない。考えようによっては、随分と贅沢な生活だったのかもしれない。

 お風呂やの隣にはコインランドリーが必ずあって、お風呂に入る前に、3日分か4日分の洗濯物を洗うのがお決まりパターンだった。洗濯物を洗濯機に入れ、小さいペットボトルに入れて持ってきた洗剤を洗濯機に投入する。セットが終わったら、200円を投入して洗濯機を動かす。あとは、洗濯物を入れてきたカゴを洗濯機の上に置いておき、銭湯へ行く。そして、お風呂から出てきたら洗濯が終わっているので、カゴに入れて持って帰り、自宅で干す。この銭湯とコインランドリーのコンビネーションは完全無欠だった。

 洗濯が終わるまでの時間が45分だから、お風呂に入って体を洗い、お風呂に浸かって、ナンダカンダとしているとちょうどいい感じで45分ほど経過する。だから、お風呂に入る前に選択するシステムがあるのはとても便利だった。コインランドリーを使っていたので、自宅アパートには洗濯機もなかった。というよりも洗濯機を置くスペースがなかったと言う方が正確。

 お風呂なし、トイレは共同、洗濯機も無し。ごく標準的な生活に慣れた人だと、とても不便な生活のように思えるけれども、実際にその環境で生活すると、意外と大丈夫なもの。絶対に必要だと思えるモノがなくても、実際にその環境に自分が置かれると、不思議なほど適応していく。

 更に言うと、クーラーも無かったので、夏はなかなか厳しいものだった。夏は毎年扇風機1台で過ごしていて、さすがにクーラーが欲しいと思ったことは何度もある。だって、東京の真夏を扇風機1台で過ごすなんて、もはや非文明的な生活だろう。もうあまりに暑いものだから、夜に寝るとき、網戸も全開にして、朝まで寝ていたときもあるぐらい。網戸まで開けてしまうと、色々な虫が入ってきそうだけれども、2階だったためか、意外と無事だった。泥棒が入ろうと思わないほどの古いアパート(築27年ぐらい)だったから、そういう心配も無かった。

 家賃29,000円のユニークなアパートに住んでいると、銭湯は生活必需品であり、なくなってもらっては困るシロモノ。私が住んでいたアパートがまだあるのかどうかは分からないけれども、お風呂屋がなくなると困る人はまだいるはず。

 お風呂屋とコインランドリーのコンビネーションは便利だし、家にお風呂がある人であってもお風呂屋には行くし、なくなるよりはあった方がいい。家のお風呂は狭くなりがちで、洗い場も浴槽も小さくて、満足できるお風呂かというと、そうとも言えない人も多いはず。家にお風呂がないと、毎日銭湯に行く理由になるので、むしろ風呂付きの家に住むよりも贅沢でセレブな生活ができる。

 公衆浴場には規制があり、どこのお風呂屋に行っても同じ料金で、2014年5月時点では、確か410円だったんじゃないかと思う。さらに、店舗の設置場所にも制限があって、銭湯間である程度、距離を離して店舗を設けないといけないようになっている。このように、料金と店舗の設置場所を規制することで銭湯を維持しているのが現状。

 銭湯に対する規制は、再販売価格維持制度と似ている。本の販売価格や映画の料金がどこも同じなのは規制が課されているからであって、銭湯と同じように、お互いが潰し合わないようにするための方便になっている。

 公衆浴場と違って、大阪のスパワールド(http://www.spaworld.co.jp/)のような施設だと、ある程度自由に営業ができるようで、料金も公衆浴場よりは高く設定できるし、お風呂以外の施設も設けて、入浴以外の部分からもお金が入ってくる。

 最近は、お風呂屋でも単にお風呂を入るだけでなく、なんだかフロントエリアを改装して、ゴージャスな感じに変えているところもある。大きなテレビを置いたり、飲食ができる施設を作ったり、ゲーム機を置いたりなど、お風呂以外の部分に力を入れているのはいいのだけれども、それらのスペースのために脱衣所を狭くするのは不満な部分。

 お風呂屋のスペースは限られているし、お風呂そのもののスペースを削るのも難しいので、最も削りやすい脱衣所のスペースを減らすのだろうけれども、脱衣所が狭いお風呂屋に行くと何だか暑苦しくて、あまりそのお風呂屋に行きたくなくなる。「脱衣所なんて服を脱いだり着たりするだけだから、ちょっとぐらい狭くてもいいんじゃないの?」と思うかもしれないが、銭湯の脱衣所は意外と重要。

 銭湯に行くのは、体を洗うという目的もあるけれども、くつろぎたいという目的もある。脱衣所を出て、フロントでくつろげば良いという考えもあるけれども、せっかくお風呂に入ったのに狭い脱衣所で服を着てしまえば、気分が台無しだ。とはいえ、フロント部分を広くするにはお風呂屋のどこかを狭くしないといけないから、どうしても脱衣所のスペースが狭くなってしまうのは仕方ないのかもしれない。

 脱衣所を狭くしないとフロントを広く出来ないならば、フロントを広げずにそのままでいいんじゃないかと思う。フロントに飲食スペースを取って付けたように設けても、お風呂屋でナンダカンダと飲み食いする人はそんなにいないだろうし、せいぜいコーヒー牛乳やビールを飲む人がいるぐらいで、ラーメンやうどんなんて風呂屋であえて食べる必要はないはず。

 家風呂がある人も、たまには銭湯に行けば、気分転換になるし、家のお風呂とは違う快適さも感じれるので、お風呂屋に足を運んでみるといい。