2014年6月4日

マザコン化する息子。恥ずかしさがなくなりつつある。


なぜ若者たちは「マザコン」化するのか?
http://toyokeizai.net/articles/-/38477?page=2

 かつて、日本には「マザコン」という言葉がありました。おそらく今でもマザコン男性の象徴と言えば、テレビドラマの「ずっとあなたが好きだった」(TBS系で1992年放送)の登場人物である、佐野史郎さん演じる「冬彦さん」かもしれません。当時、このドラマは高視聴率をたたき出し、「冬彦さん現象」と呼ばれ、「マザコン」「冬彦さん」はこの年の流行語にも選ばれました。 
 同じくテレビドラマの「橋田壽賀子ドラマ 渡る世間は鬼ばかり」(TBS系列で1990年から2011年まで断続的に放送されたドラマ)でも、ひとつのテーマとして深刻な「姑と嫁」の関係が描かれましたが、これらのように、かつて、母と息子が仲良しであることは、日本社会ではタブー視されてきました。

母親と息子が仲良くしていると、子供っぽいとか気持ち悪いという反応が確かにありましたね。私が学生の頃も、母親と何か行動をすることに恥ずかしさや嫌な感じがあって、「母と息子が仲良しであることは、日本社会ではタブー視されてきました」という部分には共感できる。





毎朝、布団にもぐりこんでくる母

息子を起こすときにフトンに入り込んで起こすらしいけれども、これは私にはなかったですね。せいぜい名前を呼んで起こすぐらいで、フトンにモゾモゾと入り込んでくるなんてことは母親はしなかったです。



LINEで母親と頻繁に連絡

私が10歳代の頃はLINEは無かったですし、メールぐらいです。メールを使えるといっても、私は親にメールをめったに送らなかったですし、私が送らないものだから親も送ってこなくなり、必要限度でメールをやりとりする程度でした。

大学生の頃、東京で一人暮らしをしていたときは、親からのメールや電話もそれなりにあったのですが、私はメールも電話も必要以上にやりとりするのはイヤだったので、しまいには使うとき以外はケータイの電源をオフにするようになり、アパートの大家さん経由で親から電話がかかってきたこともあった。さすがに電源をオフにされるのは困るとのことで、必要時以外は連絡しない条件で電源は入れるようになったのを覚えている。

今の若い人はLINEで母親と頻繁に連絡しているようですが、これも人それぞれだろう。誰もが母親とLINEでモチャモチャとコミュニケーションしたいわけではないだろうし、私のように必要なとき以外は親とは連絡しないタイプもいるはず。


「身近な女性に優しいのだから、恋人にも優しくしてくれるはず」「優しそうだけど嫌みがない」などの理由から、若者からはむしろ賞賛されているのだ。

賞賛されているって、、本当なの? 私の価値観からすれば、キショいとかキモいとか、そういう評価の対象になるところだけれども、2014年現在は違うのか。



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息子に反抗期がない

典型的な反抗期がないように思えるだけで、実際はあるんじゃないか。普段は大人しい息子なのに、いきなりキレて人を殴るとか町中でナイフを振り回すとか、そういう事件もあるので、一概に反抗期がないとも言い切れない。



母親が外見的に美しく、一緒に行動しても恥ずかしくない

息子よりも娘にこの傾向が強いのでは? 娘とその母親がショッピングセンターで買い物をしている光景はよく見かける。さも友達であるかのように和気あいあいと買い物を楽しんでいるように傍からは見えるが、この息子版ということなのか。

でも、息子と母親が和気あいあいと買い物をしている状況はやっぱりヘンな感じ。

母親の買い物センスと私の買い物のセンスは合わないところがあって、小学生か中学生のころ、母親が一方的に買ってきた服なんて、どうも私のセンスとは違っていて、とても着にくかった。なるべく自分で買った服を着るようにして、母親が買ってきた服は室内着にするか、数回着てタンスに死蔵しておくのが子供なりの善後策だった。

訳の分からない文字が書かれたトレーナーとか、ヘンテコなロゴが付いたシャツとか、まぁ母親というのは妙なセンスで息子の服を選ぶもので、これはどこの家庭でも起こっている「事件」だと思う。



母・息子ともにSNSを使いこなす

もし母親がSNSを使いこなせたとしても、親とは繋がりたくない。親に監視されている感じがするし、無意味に「何してる?」とか、「晩ご飯は何がいい?」とかメッセージを送られても、鬱陶しいだけ。

メールや電話ですら必要限度で十分だと感じるのに、さらにLINEなどのSNSで連絡を取るとなると、過剰な感じがする。

普通のケータイだとSNSを使いにくいので、電話とメールに連絡手段は限定されてくる。しかし、スマホだと、左記の手段だけでなく、LINEなどの手段も利用できるので、コミュニケーションの敷居がグッと下がる。そのため、あえて連絡しなくてもよさそうなことまで連絡してしまうのかもしれない。



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授業参観に親が来る恥ずかしさ

小学生、中学生の頃は、授業参観というものがあって、年に1回か2回、学校に親が授業を見に来る機会があった。

授業参観を嬉しいと思っていた人はどれぐらいいたのか。そして、2014年現在では授業参観を嬉しいと思う学生はどれぐらいいるのか。おそらく、現在のほうが授業参観を好ましく思っている学生は多いんじゃないかと思う。

私が学生の頃は、親が学校に来ることそのものが恥ずかしい感じだった。何というか、家庭の雰囲気を学校に持ち込まれる感じがしたからか、何か気持ち悪い感じがして、なるべくならば授業参観というイベントそのものが無い方がいいと思っていた。

授業を見に来るのではなく、授業の様子をビデオで撮影して、そのデータをDVDに焼いて配布してもいい。動画サイトに授業の様子を投稿して、それを保護者と共有するのもいい。だだ、不特定多数が観れるようにしていると、色々と不都合なこともあるだろうから、閲覧できる人を限定して見せる必要はあるかもしれない。