2014年4月30日
ノートをとる作業が不毛だった。ノート屋の終わり。
黒板に書かれた内容をひたすら書き写す。これが学生の仕事であり、義務であり、やるべきことである。そう思っている学生も未だに多いはず。先生が黒板、大学生になるとホワイトボードもあるかもしれないが、そこに書かれた内容を一心不乱にノートに書き写して授業を受ける。それが学生にとって正しい授業の受け方だと疑いもせず受け入れていた頃が懐かしい。
関西学院大学で有名だったノート屋がなくなるらしい。講義ノートを買い取って、1部500円で販売する商売で、結構長い間続いていたようだ。私は関西学院大学の出身者ではないので詳細は分からないけれども、ノートを取ることに価値を見出す人には便利なサービスだったのかもしれない。
前金で10,000円、差額は後で支払いとなっているけれども、大学生の小遣い稼ぎには良い選択肢だったのかもしれない。マジメに授業に出席して、黒板の内容を細大漏らさずノートに書き留め、それをノート屋に持っていく。
おそらく、テストの直前になると、お店に学生がゴッタ返して大盛況だったのかもしれない。普段は授業なんて出席せず、テストの直前になると急に教室が学生でイッパイになる。そんな光景が何年も何年も繰り返されてきたはず。
明治大学にも同じような商売があったのかどうかは知らない。私は授業にはキチンと出席するタイプだった。だから、テスト直前に慌てることはなかった。テストの2週間前ぐぐらい前になると、ノートを貸してくれと頼んでくる学生がいて、全く見ず知らずのヒトにノートを貸すこともあった。
どこの大学でも、テストの直前はノートの獲得作戦が実行されるもので、関西学院大学に限ったことではない。ノートが手に入れば、授業の内容が大体分かるので、私立大学ならば単位の獲得はほぼ確定。私立大学の文系学部のテキトーさといったら、もう学生のオトーサンやオカーサンもビックリするほどで、大学がパラダイス状態になっているのも頷ける。
大学生の頃だけでなく、高校生、中学生、小学生の頃も、ノートをとる作業は本当に苦痛で、「なんとか省略できないものか」といつも思っていた。学校の先生は、ノートチェックと称して、定期的にノートを提出させ、内容のチェックをしていたので、ノートを全く取らないとなると、さすがに先生からの印象が悪くなる。
「ノートを取らない=勉強していない」と言ってもいいぐらいの価値観が跋扈していて、1人だけノートを取らないぞと反旗を翻しても、たちまちゲンコツを食らって引き下がらざるを得ない状態になる。
だって、黒板に書いている内容を写経のように写すだけなんだから、先生が板書のコピーでも配布してしまえば、ノートを取る手間を省略できたはず。にもかかわらず、何が何でもノートをとらせるものだから、こっちはたまったもんじゃない。
手を動かしてノートをとれば、授業の内容が頭に入ってくるとか、内容を覚えやすいとか、そういったメリットはあるかもしれないけれども、それは各人が自宅で手を動かして書けばいいのであって、全員を巻き込んでやることじゃないだろう。板書のコピーを自宅に持ち帰って、その内容を住宅展示場のチラシの裏にでも好きなだけ書き殴ればいい。こうすれば手を動かせるので、「授業の内容が頭に入ってくる」とか、「内容を覚えやすい」という需要を満たせるだろう。
2014年の今だったら、私は、ミニ三脚にスマホを固定して、授業を丸ごと動画撮影してしまうだろう。これでノートを取る手間を省く。黒板の内容、ついでに教授が話している内容をそのまま丸ごと記録してしまえば、ノートはもう要らない。
大学は90分の授業だったから、ずっと録画し続けると容量が多くなるので、黒板を撮影することに重点を置けば効率的だと思う。
もしくは、スマホで黒板を撮影するのもいい。ただ、普通に写真を撮影するとカシャっと音が鳴るので、動画モードに切り替えて、動画撮影状態の時に写真を撮影すると音が出ない。授業中にカシャカシャしているとさすがに退室させられかねないので、音には注意が必要。
他にも、大学が公式に、授業をビデオカメラで撮影して、その内容を授業日以降、1週間限定で大学のウェブサイトにアップロードしておくのも良い方法。当日、授業に出席できなかった人が自宅で受講できるし、雨の日や雪の日でも大丈夫だ。さらに、1週間限定なので、テスト直前にまとめて観るようなズルいこともできない。
もうシャープペンシルやボールペンををガリガリと動かすのはヤメにしたい。授業は聞くことに集中するべきであって、ノートを取る作業にはあまり意味が無い。
これはジンクスなのか、世の中の法則なのかは分からないけれども、マジメにノートをとっている奴はテストの成績が大して良くない。私が他のヒトを観察して知ったのだけれども、成績の良くない奴はキレイなノートを用意し、ノートの左上から右下に向かってキチーっと文字を書いていく。出来上がったノートは確かにキレイで、それを見たヒトにさもチャンと勉強しているかのように思わせるが、本人は授業の内容に集中していたのではなく、ノートを取ることに集中していたからキレイなノートが出来上がっただけのこと。
ノートを取ることは目的ではなく、授業の内容を理解することが目的であって、これが逆転してしまっては、まさに本末転倒。こういうお粗末な結果にならないために、やはりノート取りを先生が求め、チェックするのはヤメるべきだろう。